長文です。

「3.11」

2011年(平成23年) 3月11日(金)14時46分、
東北地方を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生した。

あれから7年…

あの日はまだ仕事をしておらず、
ひきこもり生活をしていた。
朝方まで眠れず、
地震が起きた時間は眠っていた。

大きく波打つような揺れで目覚めると、
部屋にあった扇風機やヒーターが大きく揺れていて、
電気が落ちた瞬間が分かった。
慌てて起きて居間へ降りていくと誰もいなかった。
まだ揺れている中何を思ったのかブレーカーを覗き込んでいた。
余震が何度も襲い、
恐怖の中猫達と一緒に居間で座り込んでいた。
そんな時母と姉が急いで帰ってきた。

互いの無事を確認すると今度はコンビニへ…
店内は混み合い、
我先にと誰もがお弁当を手に持っていた。
父が帰ってくるとラジオを付けてくれた。
「東北地方でM9.0の地震が発生…」
という声が聞こえてきて愕然とした。
電気が復旧したのは11時間後の午前1時過ぎ。
パソコンからヤフーニュースを見ると…

翌朝テレビで衝撃の映像を目の当たりにした。
津波で家々がおもちゃのように流されていく様子は、
公共の場でこのような表現は良くないかもしれませんが、まさに地獄絵図。
自分が寝ている間に大勢の方が亡くなられた。
今もなお2500人以上の方が行方不明です。

写真は宮城県在住の友人から送られてきたもの。
美容室を営む友人は店の前まで津波が襲い、
2日後に自衛隊の方に救助され、
学校で3週間避難生活をしたと聞きました。

現在は店を再開しているが、
あの日の恐怖は忘れられないと言います。

今、自分に何が出来るか。

絶対に風化させてはいけないと強く思うと同時に、
震災を知らない子供達も増えてきている。
伝えなくてはならないと改めて思います。

バレーボール女子日本代表で、
リベロ佐藤あり紗選手がインスタで投稿された言葉。

「2011年3月11日が
いつもの1日だったとしたら。」

事件は解決しますが、
被害は解決しません。

津波でご家族を亡くされ、
たった一人生き残ったある子供の特集をテレビで見ました。
私を心配して学校まで迎えに来てくれたが、
先に友達と一緒に友達のお母さんの車で逃げてしまった。
そして母と姉、父が津波に襲われ、亡くしたのは自分のせいだと…
それから泣く事をやめたと。
あまりにも辛い現状に胸が苦しくなった。
自分が同じ立場だったらと思うと言葉にもなりません。

あの日がいつもの1日だったら…

今私達に出来る事は強い気持ちを持って、
毎日を一生懸命生きる事。

私みたいに震災を一度も経験してない人間が、
あたかも経験したかのように軽々しく言えることではありません。

でも、それでも、
私も同じ気持ちです。

頑張ろう東北。
頑張ろう日本。

こころはひとつ

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よっちゃんよっちゃん