小泉八雲記念館

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島根県松江市・小泉八雲旧居西隣。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)という多面的な作家を知る基本情報を遺愛品の展示と解説を通して紹介するとともに、八雲ゆかりの世界各地と情報共有を行い発信します。
Lafcadio Hearn Memorial Museum, Matsue, Japan.

http://www.hearn-museum-matsue.jp/

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【Lafcadio Hearn Calendarー小泉八雲歳時記】

1866年11月21日
November 21st, 1866

父チャールズが亡くなる。
父チャールズ・ブッシュ・ハーンは、赴任先のインドでマラリアに罹り、帰国の途上スエズ運河を航海中、船上で亡くなります。享年48歳。

Lafcadio's father Charles contracts malarias, and dies at the age of 48, on his way back to Ireland from India.

ハーンは4歳の時母ローザと別れ、7歳の時に、父から再婚相手の家族と一緒にインドへ赴任することを告げられます。毎夏訪れていたトラモアの海岸でのことです。それが父を見た最後でした。

母を捨てた父を、ハーンは生涯許すことができなかったと言われていますが、かすかな父との記憶を弟のジェイムズに宛てた手紙で、こう告白しています。 「父を見た記憶は4度ーいや5度しかない。少しも私をかわいがってくれなかった。父が怖くていつもびくびくしていた。なんだか黙りこくっている人だった。父のしてくれた親切を一つだけ覚えている。インドから蛇や虎のことばかりを書いた長い手紙をくれたことがある。私にも読めるようにと、わざわざペンでもって活字体で書いてあった。・・・・」
(ラフカディオ・ハーン著作集第15巻より抜粋)

Charles Bush Hearn remarried his childhood sweetheart, Alicia Goslin in July 1857. Lafcadio never saw his father again: "I can remember seeing father only four times - no, five. He never caressed me; I always felt afraid of him, He was rather taciturn, I think. The one kind act I remember on his part was a long letter written to me from India, - all about serpents and tigers and elephants, - printed in Roman letters with a pen, so that I could read it easily......"
(from the letter to his brother James)
#小泉八雲旧居
#ソケイ
#ピンポンマム
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「スーパーヘルンさん講座」内中原小学校編!
さんいん学聞で紹介していただきました!

内中原小学校4年生約120名の子どもたちが、小泉八雲を学ぶ子ども塾「スーパーヘルンさん講座」に参加してくれました。
塾長小泉凡さんの講義を受けた後、実際ヘルンさんゆかりの地を訪ねるまち歩きをして、120年前の松江と小泉八雲に想いを馳せ、五感で感じたことをたくさんメモしました。
案内人は、街歩きの達人ホリピーこと堀江一夫さん。
もちろん小泉八雲記念館と旧居にも、見学に来てくれました。

小泉八雲記念館では、「ヘルンさんを学ぶ。ヘルンさんから学ぶ。」をテーマに、多様な視点からの子どもたちへの教育活動を応援しています。 (Photos by Kazuo Horie)
【Lafcadio Hearn Calendarー小泉八雲歳時記】

1893年11月17日
November 17th, 1893

長男一雄誕生!
ラフカディオ・ハーン父親になる!! First son Kazuo was born!!!! ハーンとセツの長男として熊本の西坪井堀端町に生まれます。英語名は、レオポルド・カジオ・ハーン(Leopold Kajio Hearn)。「カジオ」はラフ「カディオ」に由来。戸籍上は「一雄」でしたが、ペンネームとして「梶雄(かじお)」や「レオポルド」を終生愛用していました。
 父は一雄が10歳の時にこの世を去ってしまいますが、後に克明に記憶した父との日々を2冊の本にまとめます(『父(パパ)八雲を憶う』&『父小泉八雲』)。そこには様々な家族のエピソードが語られ、文学者小泉八雲ではなく父ヘルンの姿があり、父子の強い愛情と絆が書き綴られています。
 事務職やホテルマン、教職など様々な職業を体験しつつ最後に選んだのは父と同じ「もの書き」でした。長男として小泉家を支え、執筆の傍ら遺品の整理や対外的な付き合いなどをこなしました。 ☞ハーンは一晩中眠らず、午前一時の誕生を知ると、産婆に抱き着いてキスをしたと言われています。 ☞小泉セツが、のちに『思い出の記』の中で、当時のことをこう回想しています。
「・・・長男が生まれようとするときにはたいそうな心配と喜びでございました。・・・初めて産声を聞いたときには何とも言えない一種妙な心持がしたそうです。その心持は一生になかったといっていました。赤ん坊との初対面のときには全く無言で、ウンともスンとも言わないのです。・・・」 Born as the first son of Hearn and Setsu in Nishitsuboi Horibata-cho, Kumamoto. His English name was Leopold Kajio Hearn. He was named Kajio after Laf’cadio’ and he used to use ‘Kajio’ and ‘Leopold’ as a pen name through his life even though he was registered ‘Kazuo’ in Japan.  Even though his father passed away when Kazuo was 10 years old, he wrote his clear memories of his father in two books later. (Father and I Memories of Lafcadio Hearn, Father KoizumiYakumo) In the books, he wrote about various stories of the family and the strong affection between the father and the son by describing Hearn as a father, not as a writer Koizumi Yakumo.  After having experienced a variety of jobs such as an office clerk, a hotelman and a teacher, he finally chose to be a writer, the same job as his father’s. As the first son, he supported the Koizumi family, being engaged in organizing Hearn’s personal effects  and socializing with people.
#小泉八雲旧居 #小泉八雲 #松江 #lafcadiohearn
【Lafcadio Hearn Calendarー小泉八雲歳時記】

1891年11月15日
November 15th, 1891

さよなら、松江...�熊本に向け出発。
Sayonara!  Matsue…..�
Leaves for  Kumamoto.

こよなく愛した松江に別れの時がやってきます。
松江の寒さに耐えかねたハーンは、家族を伴って熊本に移ることを決意します。11月15日午前8時、自宅前に集まった約200人の生徒、教員とともに大橋西側のふ頭に向かいます。午前9時、万歳三唱に送られて蒸気船で宍道へ。宍道からは、セツと女中の桜井ヨネ、お抱えの車夫とともに人力車で広島を目指して出発。4日間かけて中国山地を超え広島に出て、呉から一晩の航海で門司にわたり、汽車で熊本に至っています。

この様子は、『知られぬ日本の面影』の最後の章「さようなら」で書かれていますが、いかにハーンが松江の事物や人々を愛していたか、またその別れの悲しさがにじみ出ている名文です。
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別離の直後に押し寄せる鮮烈な記憶に、場所や物がいとおしく思えてくる記憶の数々に、一瞬、心が沈んだ。杉林から響いてくる寺の鐘の音。湖水に踊る月の影。出雲のお日様を川岸から拝む柏手の音。風の吹く橋の上をいく、絶え間のない楽し気な下駄の音。
 ほかにも無数の楽しい思い出が鮮やかに甦ってきて、私は胸を締め付けられる。
その間にも、神々の名をいただく遠くの山々は、ゆっくりとその青い肩を背けてゆく。小さな蒸気船の速度は、だんだんと早くなり、私は、神々の国からどんどん遠ざかってゆくのだった。
「さようなら」より抜粋『神々の国の首都―知られぬ日本の面影』(池田雅之訳) **************** The little steamer bears me, more and more swiftly, ever farther and farther from the Province of the Gods……
(Sayonara! "Glimpses of Unfamiliar Japan")
【12/20 臨時休館】
小泉八雲記念館は館内メンテナンスのため、2017年12月20日(水)に臨時休館いたします。 
お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、ご理解いただけますようお願い申し上げます。
9月から10月にかけて、松江水燈路にあわせてナイト・ミュージアム企画を実施しました。お越しいただいたすべての皆様、出演してくださった皆様、本当にありがとうございました。

松江水燈路は、夜のお堀端や松江城が無数の行燈で美しくライトアップされ、幻想的な世界をお楽しみいただくことができる恒例のイベントです。(9月末~10月の毎週末)
来年は、記念館界隈のお堀端をもっとにぎやかにできるようにしていきたいと思います。また来年、ナイト・ミュージアムでお会いしましょう。

写真は10/29「おはなしレストランde怪談ナイト」の模様です。
【Lafcadio Hearn Calendar-小泉八雲歳時記】

1877年11月12日
November 12th, 1877

ミシシッピー川を下って、ニューオーリンズに到着!
Arrived in New Orleans and his life in New Orleans had begun!

1877年10月、ハーンはマティとの結婚破局の問題から、新天地を求め、シンシナティからメンフィスを経由して、暖かい南部の町ニューオーリンズに向かいます。
新天地を求め逃れるようにしてこの地にやってきたハーンにとって、見るもの聞くものがすべて新鮮な驚きをもたらしたことでしょう。
「熱帯の入り口で」という記事の中で、ハーンンがこれまでに出会ったことのない熱帯の色彩に満ち溢れた美しい街の様子を、生き生きと伝えています。この日から約10年にわたるニューオーリンズでの生活が始まり、彼はこの町のとりこになっていくのです!
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ニューオーリンズの最初の印象を語ることは、たやすいことではない。何故なら、実際地球上のどの町にも似ていないのに、それにもかかわらず数多の町のかすかな記憶を思い起こさせるのだ! (「熱帯の入り口で」より)

After staying in Cincinnati for 8 years, he went down to the south along the Mississippi heading for New Orleans. He spent 10 years here from 1877 (age of 27) to 1887 (age of 37), one of the long periods while he stayed in one place during his one way trips, during which he faced some critical moments that influenced his later life.
【Lafcadio Hearn Calendar-小泉八雲歳時記】

1874年11月9日
November 9th, 1874 「皮革製作所殺人事件」(シンシナティ・エンクワイアラー)の記事を書いて一躍有名に!

He wrote an article "The Tanyard Murder Story" (original title: Violent Cremation) on THE CINCINNATI ENQUIRER.

一文無しで渡米した19才の青年ハーンは、5年後にはルポルタージュ記者として名を残すことになります。彼の名を一躍有名にしたのが、「皮革製作所殺人事件 (Violent Cremation-原題)」というセンセーショナルな犯罪記事です。ハーンは、記者として現場へ急行し、目撃した事柄を感覚に訴える文章で如実に描写しています。 〈皮革製作所殺人事件とは?〉
シンシナティで起こった残忍な殺人事件。
ヘルマン・シリングというドイツ系移民労働者が、生きたまま皮革製作所の炉で焼き殺された。シリングは厩で殴られ、さされた挙句、炉に放り込まれて焼かれた。
The Tan Yard Murder
In 1874, a feud within Cincinnati’s German community would lead to the brutal murder and illegal cremation of Herman Schilling, a worker at H. Frieberg’s tanyard. Andreas Egner wanted revenge for catching Shilling in bed with his 15-year-old daughter. But Shilling had other enemies as well and his killer could just as easily been George Rufer who believed Shilling had cost him his job at the tannery. The murder of Herman Shilling—one of the most gruesome in Cincinnati’s history—would also serve as a stepping stone for an aspiring young reporter on his way to international literary renown.
(http://www.murderbygaslight.com/2010/09/tanyard-murder.html)
【Lafcadio Hearn Calendarー小泉八雲歳時記】

1902年10月22日
『骨董』を出版する。
October 22, 1902
'KOTTO' was published by The Macmillan Co. .

9編の再話文学と11編の随想で構成。再話では、人間と超自然との交渉やその結果としての報いを、抑制した文章で綴っています。
「草ひばり」や、朝露の一滴に想いを込めた随想「露のひとしずく」は、八雲の世界観が表れた晩年の傑作といわれます。
『骨董』に収められている「幽霊滝の伝説」は、鳥取県黒坂に伝わる話で、小泉八雲記念館の再話コーナーでも佐野史郎さん・山本恭司さんによる朗読で聞くことができます。
また、「茶碗の中」は、小林正樹監督の映画「怪談」(1964年)で取り上げられました。

Hearn writes in a controlled manner about karma as a result of relations between humans and the supernatural. The essays ‘Kusa-Hibari’ and ‘A Drop of Dew’ are said be his finest works during the later period of his life, and reveal his outlook on the world.
1階エントランスの様子です。

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