庭文庫

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岐阜県恵那市の古本屋。2018年4月28日(土)から岐阜県恵那市笠置町の築100年以上の古民家で営業中。◎営業日:金・土・日・月 ◎営業時間:10時〜17時 ◎住所:岐阜県恵那市笠置町河合1462-3 #庭文庫

http://niwabunko.com/

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うちのまえに立っている

あの樹には

記憶というものが

あるのだろうか

ふと  そんなことを考える

樹の  記憶

記憶というものがもし

ひとのものでも

動物のものでも

生きているものたち

だけのものではないのだとしたら

ふと  そんなことを

考えてみることがある

20の頃

僕は居酒屋で友達に

ひとはなんで音楽を聴いて感動したりするんだとおもう?

と  聴き

それはね  ひとが

生きている

このからだに

もう  いつも  すでに

古からの

ともすれば

ひと  が生まれるずっとまえからの

記憶の  粒  のようなものたちが

それこそ無数に

この  ひとつひとつのからだに

その  細胞の  一粒一粒のなかに

それよりもちいさな  ちいさな粒のようにして

埋めこまれてあるから

なんだとおもうんだよね

と  話した記憶が  ある


どうしてそんなことをおもったのか

それについてはなにも  おもいだせない

けれど

いま  ここにいるぼくもやはり

同じような感覚をもっていて

それは

直感としかいいようのないもので

そう感じられることそのものを

疑うことは  ない


ものことが

ある  ことを信じて疑わないひとには

それは  夢のようなもの

ある  という  夢をみているのだと

語ることの必要というのも 

あるだろうけれど

思想や宗教のことばを読みわかり

そのまま呑みこんだものを披露するようにして

無  やら  空  やら  を

語ってしまうことは  まずいとおもう

夢  だとしても

夢  である  ことは  あるのだ

その  ある  のことを

ない  と言い張るひとには

語ることが  必要なのだ  とおもう

禅を語る鈴木大拙は

空という言葉に捉えられることを危険視し

インディアンの呪術師ドン・ファンは呪術師の世界に釘づけにされることを危険視したが

そのように

ほんとうに明晰な思考は

二項を超えて  ゆく

どちらをも識り  わかり

どちらをも  往復することが

重要なのだと  思える


樹の声を聴く  というとき

多くの人は

そのことを  比喩  として

わかろうとするけれど

それは  比喩  では  ない

つまり  言葉の上での  修辞

仮初め  虚構

では  ないのだ

河瀬直美の映画 「あん」

僕は  大好きな映画だが

そこで語られることを

そのままに  曲解なしに

受けとめることでわかる

世界のありようというものが  ある


声を聴く  とは

いったいどういうことなのか

そのことを日々  僕は考える

あらゆるに  たったのひとつの

声が  生きているということ

その声は  音声にかぎらず

口から発されるものにかぎらず

ある

それもまた  比喩  ではないのだ

おそらくは

インドの古典音楽家たちや

パプアニューギニアのワヘイのひとたちや

ピグミーのひとたち

みんな  そのようにして

彼ら彼女らを取り巻く世界を

聴いている

聴こえたならば

無視することは  ない

それらとともに  歌い  踊り  奏で

世界が  まあたらしく  うまれる

ニーチェは

世界は芸術作品として自己自身を分娩する

と語ったが

おおよそ  まさに  そうなのだ

それぞれの声に  耳を

いや  この器官としての耳以上

この  たったのひとつの  からだを

ひらいて  待つ  とき

世界が  歌いはじめる

それを聴くのが  音楽家というものたちだ

それはたとえ

老いたとしても

聴こえるだろう

長田弘の

この詩の  次の行から

最後まで  は

こう  しめくくられる

せっかくだから

最初から  書いてみよう

-----

樹の伝記


この場所で生まれた。この場所で

そだった。この場所でじぶんで

まっすぐ立つことを覚えた。

空が言った。 ー わたしは

いつもきみの頭のすぐ上にいる。ー

最初に日光を集めることを覚えた。

次に雨を集めることも覚えた。

それから風に聴くことを学んだ。

夜は北斗七星に方角を学び、

闇のなかを走る小動物たちの

微かな足音に耳をすました。

そして年月の数え方を学んだ。

ずっと遠くを見ることを学んだ。

【美濃焼タイルアクセサリー popolo】

美濃焼タイルアクセサリー「popolo」のイヤリングとピアスを、庭文庫では委託販売させてもらっています。

popolo
https://www.popolo369.com

委託販売開始してまもなく、どんどん売れています。

窯元の職人さんが手づくりしている美濃焼タイルは、どれも異なる顔をしていて、ずっと見ていても飽きない色あいに目を奪われます。

庭文庫では、数ある商品のなかからセレクトさせていただいた数種類を販売しています。

うちにお越しの際にはぜひ、見てみてください。

#庭文庫 #popolo #美濃焼 #タイル #アクセサリー 
こんにちは

きのうは朝からばたばたしていて

投稿しそこねてしまいました

開店から閉店まで

とてもたくさんの方に来ていただいて

うれしかったです

お盆もすぎて

だいぶ涼しくなったので

みんな動いてみようかと

なったのでしょうか

動物らしくて

それはとても

いいなあと思いながら

夏のおわりをすごしています


さて

きょうも

郡上から石徹白洋品店の平野さんたちが来られて

衣服たちの展示販売会が行われます

石徹白洋品店
 http://itoshiro.org


僕はずっと珈琲を淹れつづけていたので

みんながどのように衣服たちとふれあっているのかながめることができませんでしたが

いろいろと売れたみたいで

よかったです

石徹白洋品店の服は

凛として  居る心地がよく

見ているだけで

心がすっとしてきます

石徹白は恵那の地から遠く

車で訪ねるのもたいへんな

たいそうな山奥にあるそうなので

恵那のあたりで

ここの服が気になるひとはぜひ

この機会に

ふれて  袖を通してみてほしいです

衣服というものは

肉体をくるむものとして

こどもから大人まで

男のひとも女の人も

誰しもが必要とするもの

それは

もうひとつの

皮膚

であるのかもしれないなあと

思ったりします

からだというものをとおして

僕たち生き物は生きていて

それら生き物たちは

みずからをよりよく生かすため

さまざまなかたちにそのからだを

変えてきました

人間にかぎらず

あらゆる生き物は

それぞれのかたち

をとおして

それぞれの生活のありかたを

そっと  示しているように見えます

どのように暮らすのか  を

よく  考えるならば

着るものは

たいへんにたいせつな

わたしたちのからだとなります

どうぞ  石徹白洋品店さんの服を

よろしくおねがいします

#庭文庫 #石徹白洋品店 #着る #衣服 #展示販売会
文化人類学者である岩田慶治の著作を読んでいると彼がその人生を通して深く一途に追い求めていたもの、その旅の道程に付き添う旅人としている自分にきづく。

彼が求めたものは単なる抽象的な観念としての神ではなく、あくまで具体的にこの生きられてある身体そのものをもってして感じることのできるカミなるもの、その所在、およそ人類なるものがいったいなぜ神的なものを信仰するにいたるのか、その根源に迫ることだけを、彼は求めていたのではないかと思えてくる。

知識を得るという行為にはそれ相応の意味がある。それは、人間がいかなるものであれ、一個人が知りうるものの限界というものがあるからで、ニーチェは「世界と私」という二項対立をなす「と」の使い方を嗤ったが、どこまでも無尽で豊穣なこの世界を、ちっぽけなたかが個人なるものの、さらにちいさな限定的な存在の固定態である「私」なるものと二項に対立せしめることすらおこがましいことであって、われわれにできることと言えばおよそ多種多様に存在し生存してあるこの世界の住人たち、生あるもののその諸存在のあることを知り、それら多種多様な生のひろがり、無数の「世界」の存在するこの広大な〈世界〉の知り得なさを知る、ということにこそ、知識なるものは使用されるべきであるというのが僕の考えだ。

だから知識というものはもちろん無駄ではなく、他者を尊重しその存在を肯定し、一般化された観念的な他者存在からその表象のヴェールを剥ぎ取るためにこそ、知るという行為、その行いの尊さが存在するのだとひとまずは言えるのではないか。

間違えてはならないのは、知識を運用することで世界を知った気になることや、その知識を知らない他者を「あのひとはこんなことを知らないなんてだめなやつだ」などと蔑みの目を向けるようなことではけ決してすべきではないということであり、あらゆる学術なるものはわれわれ人類の目が根本的に「間違いを孕むものであること」を自覚し、知り得なさを知り、分かり得なさを分かり、感じ得なさを感じ、知れば知るほどに無知を知ることを知り、他者のわからなさを知り、それでもなおわかろうとすることを知り、無限につづくこのわからないという名の海のなか、それでもなお泳ぎ続けることで、幾ばくかのわかることを増やしながら、しかしそれでもそれは真理などではなく、わかりつづけていくこと、そうしてどんどん自由に世界を見る目を養っていくこと、自由自在になること、これが、学術のもたらす力である、とぼくには思えるのだ。

岩田は神観念以前の神=カミの所在を追い求めた稀有の思想家とも言うべき人間だが、おそらくは彼の研究にたいする学術的批判というものを多数存在したことだろうと思われる。それは彼が、知識、客観性などのいわゆる理論派な学者からすればおよそ学術的ではありえないような方法で、カミの所在を探し当てようとしていたからである。

彼がカミを探求するうえで頼りにしたものは、知識でも論理でも理性でもなく、その具体的な身体であり直観だった。

彼はその生きてある足を使い東南アジアの諸民族を渡り歩き、ともに暮らし、ともに生き、生きてあるなかで見えてきた彼らの世界、彼らとともに制作される世界、そのなかにとぷりと浸かりながら、カミと出逢おうとしたのである。

そうして彼は、自身の身をもって探求されつつあることを、その思考の流れそのものとともに書き起こすようにして、書いてきた。

人類学者レヴィ=ストロースは数学や音楽とともに民族学はおのれのうちに発見されるものであるとのことを述べているが、まさしく岩田も、そのようにおのれのうちにある直観をたよりにして、おのれにしか歩くことのできない世界の相貌を目の当たりにしながら、独自の学問をつくりあげていったのであった。

その歩みに、ぼくは敬意を示してやまない。

一個人を排した客観性なるものは、おそらく存在しえない。それはたとえば、客観性、公理、理性をその根底にすえてあるように見える数学においても、岡潔のようなひとや、アラン=チューリングのようなひとが現れるように、民俗学において南方熊楠のようなひとが銭湯で地元のおっさんたちの話を聞いたり世間話をすることがおのれの民俗学だと言い張るように、盤石と見えた科学の非合理性が日夜浮き彫りなるように、あらゆる学問は、その人、と、結びついてあるものなのであるということを忘れてはならないのではないかと思う。

学問を、職業としての学者さんの専売特許とすべきではない。生きられてある眼をもつ写真家は、たしかに世界をよりたしかに一回のものとして、たったのひとつの無数のありようとして、見ようとしている。その、目。

あらゆるの探求の眼、芽、

あなたにしか見えないもの、

僕はそれをこそ、見たいと思うのだ。
読みたいと思うのだ。

あなたとわたしが違うこと、
異なる世界を生きるものたちが、
しかしなおも、
同じひとつのこの星に生きてある、
この世界に生きてあることを、

祝福しながら。

#庭文庫 #今日の一冊
壺です。開店しました。今日は15時ごろから、とある大学の学生さんたちが機材の搬入などを行います。うちの店舗で映画を撮影するのだそうです。店はふつうに開いています。
本日、8月13日(月)はお昼くらいからオープンします。時間が決まったらお知らせします。
齋藤陽道さんにはじめて会ったのは、2013年12月16日のことだった。会った、と書いたけれど、本当は会っていない。僕が会ったのは、彼ではなく、彼の撮りためた写真たちで、その日ワタリウム美術館で行われた彼の写真展『宝箱』に足を運んだのだ。

宝箱  齋藤陽道  写真展
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1311saitou/

彼のことをなにで知ったのか、いまとなってはもう覚えていない。展覧会に行った日付けがわかったのは、Twitterに、その日僕が書き込みをしていたものを昨日見つけたからだ。

あの写真展のことは、あれから数年経ったいまでも、ときどき思い出す。

あの日僕は、写真展というもので写真を見つめながら、はじめて泣いた。

あの時の感情を、正確に言葉にすることは、僕にはできそうにないのだけれど、ひとつ言えるのは、その涙は、とてもあたたかいものだったということだ。

いくつもの写真を見た。見つめた。眺めたり、のけぞったり、遠く離れて見て見たり、ピアノを弾く手の指のしたを、見えるはずもないのにかがみこんで見てみたり、いろんなふうにして、写真たちと対面した。

オレンジ色に染まる夕暮れの空を背景に、光にくるまれながらトランペットを吹く女の子

おそらく川べりだろう土手のうえの道を歩くひとびと

太陽の光の球体に包まれてまるでもうどこか遠い別の星に暮らすかのようなひとびとの顔

いま、思い出そうとしても、あれだけ熱心に見たはずの多くの写真たちのうちの、すこしものしか思い出すことができないのがすこしさみしい。

でも、なんというか、像として、写真として、わすれてしまっても、僕のまんなかに、確かに、はっきりと、残っているものがある。

その感触を、その感覚を、僕はたぶん、一生わすれることはできないだろう。

齋藤さんの写真を見て、僕はそこに、そこここにあふれる、この世界のひかりを、その世界に生きる人や、人を含めた多くの生きものたちや、生きているとは呼ばれないけれど、たしかに息づいてあるものたちのいる、この星の、尊さと、はてしないうつくしさを、みた。

そこに、そのまなざしに、僕は、彼の、そして彼のまなざしの、世界を肯定する行いを、みた。

そう、思ったと、おもう。

"
ただ見るだけのことの貧しさを
ぼくはよく知っている。
だからこそ、
ぼくは写真をやるうえで
言葉すくなき者の、
忘れ去る日常の断片の、
その奥を見ようとしなければ
ならなかった。
"
『それでも それでも それでも』齋藤陽道

見ることは、とてもむずかしい。2013年、25歳の僕は、いまよりもはるかになにも見ることをせずにこの星で、日々を生きることだけの生活に追われていた。

なにを見ることも、見つめることも、眺めることも、まなざすこともわすれて僕はただ、パソコンの画面とにらめっこをしていたのだった。

目が悪いなあ、と、思っていた。それは、視力がいいとかわるいとかのはなしではなくて、見るということそのものへ向かうことそのものの力、のことだ。

僕はほうっておくとすぐに見ることをわすれてしまう。見ることをわすれた僕の目には、ほんとうはそこここにあるはずの、息づいているはずの、ひかりのかたち、が、まるで見えてこないのだった。

こんなにも世界には、一瞬一瞬に、ほんとうにたくさんの色や形や光があふれだしているというのに、僕はそのことを、すぐにわすれて、目をあけたまま、見ることをわすれてしまうのだった。

だから、なのだろうか、僕はそれまで、結果として、目のいい女性に惹かれるところがあったとおもう。絵描きであったり、写真家であったり、そうした表現行為をしていなくとも、僕よりぜんぜん見ることに向き合う自然さのなかに生きているひとがいて、僕はその目に、惹かれていた。ひょっとして僕は、彼女らに、目のあまりみえない僕のかわりにこの世界のさまざまを見てくれるひとびとの目を借りて、見ることをわすれてしまう自分をなんとかして見ることのほうへ結びつけておこう、としていたのかもしれない。それは、そんなふうに思うと、とても傲慢で自分勝手で愛のない他者との付き合い方だなと、いまこうして書きながら反省しようと思った。

齋藤さんの写真展を見た翌月に、僕は精神科に駆けこむことになる。おそらくは12月の時点でもう、限界は近かったにちがいない。思いつくかぎりの体調不良を訴え、医者通いをはじめ、薬を大量に飲み、自分のからだとこころをだましながら仕事にはげみ、結局その会社を辞めて、岐阜に帰ってきた。

あの頃の自分には、世界が、どのようにみえていたのか。思い出そうとしても、おもいだすことはできそうにない。

ただ、齋藤さんの写真展に行き、彼の写真たちを見たことで、僕ももっと、確かなてざわりをもって、世界のものたちを見たい、と思ったのは、確かなことだ。

目がわるい、と僕が僕に言い聞かせるようにして思いこんでいたのは、たぶん、ほんとうは、ほんとうに、見たいという気持ちを、殺そうとしていたからなのだろうと、いまは思う。

岐阜に帰っ
「数学に限らず、情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。」岡潔

文化というものを考える上でわすれてはならないのは、文化を織り成すものの根底にあるのは野性であるということである。「文化的なもの」という言葉の使用に僕が感じる違和感はここに関わっているものなのだろうと思われる。

岡は数学という分野において世界的に評価される発見そして貢献をしたのだと思うが、数学に疎い僕には彼の数学界における業績の偉大さというものはさっぱりわからない。しかし彼が、生身の肉体をもって、おのれに現れ出づる情緒として、数学というものを生きていたということに、僕は心からの敬意と尊敬を感じている。

身体から切り離されて抽象化されていく数学の歴史のなかで岡潔の特異性はその点にあると思われる。彼の提起する概念としての「情」と「情緒」とに、正確な定義を与えることはできない。それは、「理性で解る」という解り方ではわかることのできないものであり、ある意味では「そのものになる」ことを通して、つまりは情緒の顕現体であるわれわれ個別の身体を通して、その情緒の咲き現れることをもってしてしかわからないというわかりかたをもってして岡は、数学というものをわかろうとしていた、ということである。

時々、こういうことを言うひとに出会うことがある。

「本にはなんでも書いてあるから、本読めばいいよ」

たしかに本というメディアには古今東西あらゆるの分野のことが書かれてあり、本以上に多種多様な世界のものことを乗せてある媒体というものは、ないかもしれない。しかし、ここで絶対に見誤ってはいけないことがある。それは、わかるというしかたは、言語を使用して、理性でもって、理解するというしかた以外のしかたこそが、根本的な「わかる」ということの意味だ、ということである。

岡は言う。

「情の働きがなければ、知的にわかるということはあり得ません。知や意は、情という水に立ついわば波のようなもの。現象なのです。」岡潔

『人間の建設』において岡潔と対談をした小林秀雄は岡にたいして「あなたは自分で確信をしたことばかりを書く」という旨のことを伝えている。たしかに岡潔の著作を読んでいるとそうした書かれ方をしてあることは一目瞭然である。

なぜ岡は確信したことばかりを書くというのか。小林秀雄の言うように、いわゆる学者や研究者というものの多くは、知識や学説、形式論理というものをとても大切なものとみなしているように思われる。岡のように確信ばかりを書いてそれを論証する気に乏しいのならばそんなものは学術と呼ぶに値しないという批判もありうるものだろうと思う。しかし、では、はたして"ほんとうに論証可能な事柄"とは、どれほどあるのか。

岡は「人はほんとうはなにもわかっていない」ということからはじめなければならないと語る。わかっていると思っていることの多くは、前提を無視したり、判断を保留したうえでその前提のうえに立脚した埋立地のようなものであって、その地盤の下にいったいなにがあるのかと問うときひとはただ、答えのない世界の豊穣に呑み込まれてしまうことになる。

「自然とはなにか」「1とはなにか」「あるとはなにか」…
日本人はとりわけ自然に包みこまれるようにして育まれてきたものであるから、自然というものがある、というその"ある"を疑ってかかることはあまりないかもしれないが、ほんとうに「自然」というものは"ある"のか。よく考えてみていただきたい。岡も述べているように西洋の自然科学は「自然とはなにか」「自然はあるのか」「時間とはなにか」「空間とはなにか」という思考の基礎をなす前提を保留し、無視したままそのうえに思考を展開してきたという歴史はたしかにあるように思われる。しかし現代物理学、とりわけ量子力学の世界では不確定性原理、不安定にあらわれたり消えたりする素粒子というものが発見されて以来、物質主義的な「ある、の、自明性」はまったくもってあてにならないものとなり、西洋自然科学という学問の基盤は根底からゆらぐこととなってしまったわけである。こうした問題を岡は真剣に見つめなおし、老子的に言えば「生命」の「生」を見ることなく「命」のみを対象として、客観的にしかものを見ない西洋科学に「生命」の本質などわかるはずがないのだと言い切り、そこから自分であたらしい時代の思想を展開するに至ったわけである。

そうした岡潔の重要なタームのひとつとなったのが「情」であり「情緒」であった。

「人生は現象界にあるのですが、現象界があるためには、非現象界がある。情の世界という非現象界の基礎があるからこそ、自然界、現象界というものが成り立つのです。」岡潔

文化人類学者である岩田慶治はこのことを「図と柄」や「自然と非自然」という言葉で捉えようとした。見えていた世界が同じとは言わないが彼らの見ていたもの、「現れたものと現れてはいないもの」にまつわる思考の基層は同じものであろうと思われる。これは昨日僕が書いたことに通じる。

岩田と岡の思想にこうした共通性を見いだしうるのはひょっとすると、彼らふたりがともに道元の思想に根を持っていたことに由来するのではないかと思
言の  葉
ということを思うにつけ

僕は考える

いったい人はこれまで
どれほどの数の言葉を
書きつけてきたのだろうと

あるいは  声
言葉は  声として
どれほどの振動がこの世界に
響きわたってきたのかと

書物は
不思議なもの
それは
人の書き遺した言の葉を
その人が
人をやめたそのあとも
まっしろな紙面に
灯しつづける

印字された無数の文字の群れを見つめていると

それらがふと
風かなにかにゆらぐように
ゆれるように
感じることがある

記号の語源は
墓である
と
とある男は書いていた

僕はまたそのことの意味をぼんやりと考える

たとえばもし
僕が今日この星がいなくなるとして
それでもこうして
書かれた言の葉たちは
まっしろい大地のうえに
ぽつんと  取り残されることになる

取り残された言の葉たちは
いま僕がこうして
風をほほにあびながら
木曽川をのぞむこの家の玄関の軒先で
晴れの日や
雨の日や
雪の日や
くもりの日や
おおきな風の吹く日にも
だれかがそこでそのページをひらくのならば
蘇る
もとい
文字は死なない
しかし  ひと は?

灯火を灯して言葉を読もうと思いついたのは先日のことで、それがいったいぜんたいなにになるのかというとぼくにはわからない。ただそういうふうにして言葉を、風に、火に、夜に、ゆらしてみたいのだと思う。

息をすることでひとは生きている。動物も、植物は息とはいわないかもしれないけれどひろくに見ればやはり息のようなものをして生きている。

庭にぼんやりといて、植木鉢に植えられた植物の葉っぱをぼんやり見つめていると、それらがたしかに生きられてあるのだという情緒のようなものがはっきりと感じられてくる。目に見えるものはたしかにこの緑だが、ぼくたちひとの目はその背後にさやかにはっきりとある生きてあるものの息づかいを感じ目に見ることもできる。

かたちあるものとなきもの、それらは表裏というか一体をなしていて、絵における図と柄のようにしてわかちがたく結びついてこの世界に存在しているのだ。

図だけを見ても、柄だけを見ても、一方だけではわからない、わからなくなるものがたしかに、在る、ということなのだろう。

それは植物を見ることにかぎらずあらゆるいきものをまなざすところにある一体なのである。

だからひとが、ひととして生きてあることをほんとうに見ようと思うのならぼくたちは、見えないものにまで目を向けなくちゃいけない。聴こえないものにまで耳を傾けなくてはいけない。そうでないと、なににもふれていないのと同じことになってしまうのだから。

ところでさっきツイッターを見ていたらこんな引用が目にはいりぼくは思わずファボをした。

「人が死ぬということは、その人とより深く逢いなおすことのようです」(石牟礼道子『花をたてまつる』)

石牟礼さんもとうとうこの世からいなくなってしまわれた。今度九州の出版社から全詩集がでるみたいでぼくはそれをたのしみにしています。では今日も、庭でおまちしています。#庭文庫
今日(8月6日(月))は店主のひとりが足をくじいてしまったため、通院などなどで1日お休みです。皆様どうぞ良き夏の日を。
‪30分はやいですが、本日は16:30閉店です。‬
空のように  きれいになれるものなら

花のように  しずかに  なれるものなら

値なきものとして

これも  捨てよう  あれも  捨てよう


八木重吉の詩をはじめて読んだのは、確か25か6の頃だった。

僕は病に身を焼かれながら、日々を、生活を、生きのびることに、生命を燃やしていた。

燃やしていたのは、おのれだったのか、はたまた別の、なにか、意味するものによる呪縛のようなものだったのか、いまとなってはただ、不思議な風の匂いとともにその日々を思いだす。

一本の樹に、憧れていた。
一本の、物言わず立ちつづける、あのしずかで、まったき確かな存在のありように、おのれそのものを、とろかしてしまいたかった。

あるいは空、そのものへ。
風のまんなかへ。
僕の身を包みこむあらゆるの存在者たちは、ハイデガーの言うような存在者以前の存在そのものとして、僕のこのぼろぼろになったからだに、こころに、やさしくふれていた。

あれらのものになりたかった。
あるいは、あれらのなかを縦横に自在に飛ぶ、一羽のかよわい鳥のように、まっさらに晴れた青空を、飛ぶことなど知らぬままに、飛び去ってしまいたいと、願っていた。

いま、僕はひととして、この場所にいて、あれからいくつかの年月を超えて、いまではもう、あれらのようになりたいという切なる願いは、霧のように、おぼろげに映し出される透明なあわい記憶として、思い出されるものとなっている。

いま、八木重吉の詩稿をひらき、目にとまった言葉を書きとめる。

この言葉を選んだことに、さほどの意味らしい意味はないのだろう。

しかしふと、言葉にふれることをとおして、いつかの自分のあることや、いくつもの記憶を、無数の層のなかでこびりつくように凍りついたらまま化石と化した風景を、僕はまた思い出す。


耳を  すませば  きこえてくる

ふかい  こえのしずけさが

季節のこころから  ながれてくる

かなしみをもつ  孤りなる者の  胸にさえ

その  かなしみこそ

おごそかなる銀板となって  ひびいてくる

それゆえにのみ

若者は  狂いもせずに

なお  あゆみつづけてゆく


庭文庫にいて、
僕もただひとりの、ちっぽけな住人としてそこにあり、
ひと以外のものたちとともに日々を暮らしていると、

時々、思い出す。

鳥の声が聴こえる。

この声が、聴こえなくなるくらいならば、わたしは何者でなくてもよいのだとこころに決めた、あの日のこと。

さまざまなものたちの重層、
それらがまた、いつかは消えゆくものとしてここにあること、
それらがいまここでわたしのからだをふるわせる確かな音の振動として、生きてあることを伝えてくる。

だれもがみな生きていることをそのものにうたっているのだ

息そのものが風であり踊りでありうたなのだ

その確信を日々大切にたしかめてふれてゆく

ぼくたちはかつてそしていまなお音楽でありつづけた


はるかにも  しずかなる  ほがらかさのなかに

小鳥の声が彫られます

わたしのふるえるこころが彫られます

これは  朝です

かなしいことをかんがえてねむったそのあさです


重吉さん、あなたはやくに死んだ。
あなたの詩をよみながらあなたに会うことはわたしにとり、さいわいと言えるものです。ありがとう重吉さん。

#庭文庫 #今日の一冊 #八木重吉 #詩